前回は、外注の図面屋さんが作図してくれた図面で、円を楕円で作図しているという致命的な間違いがあった、と言うところまでお話ししました。

今回はその続きです。

間違った図面を目の前にして、私はどういった経緯でφが楕円になってしまったのかを少し考えてみました。

その結果、原因はとてもシンプルなことだという結論に至りました。トレース元の図面が楕円に「見えた」というのが原因と考えて間違いないでしょう。

図面はコピーしていくと、段々伸びていくんです。何枚かを一度にコピー出来るようなカートリッジが付いている場合は特に。

伸びてしまったコピーを元図にしてトレースする訳ですから、1400φの円を見えた通りに楕円で作図してしまうのも無理はないのかも知れません。

…と言いたいところですが、そんな話は絶対に通用しません。図面を描いてお金を受け取る以上はプロなんです。

そしてプロであれば、φと記載がある部分は、それはいくら伸びていても円だと判断しなければいけません。少なくとも私はそう思っています。

作図者にはそのように苦情を言いましたが、事態はもはや彼女(主婦の方でした)の処理能力を超えてしまっています。翌日の夕方までに3枚を描き直す事は恐らく出来ないでしょう。

■最悪な解決方法

という訳で、結局は最後の、そして最悪の手段しか選択肢が残されていない状況となりました。あまり気が進みませんが、こればっかりは仕方がないでしょう。

仕事ですから、約束した期日は必ず守らなければなりません。

最後の手段とは、社内で何人かの作業を中断してもらい、すぐそこに迫った納期に間に合う様に大至急作図をやり直すことです。情けない話ですが、これは担当者である私が各人にお願いするしかありません。

そして何故最悪の手段なのかというと、時間的に徹夜の作業となることが避けられないからです。徹夜というのは非常に効率の良くない作業方法です。

体力はともかくとして、集中力が続く時間にはどうしても限界があります。能力とか才能とかに関係なく、眠らないで仕事をしていれば必ず集中力は途切れます。これはどんな人でも変わりがありません。

集中力が切れた状態で図面を描いても、スピードは遅い、間違いが多い、など良いことは全然ありません。それでも、それでも、それを承知の上で、どうしても徹夜をしなければならないのです。

結果的にはとりあえず納期に間に合いましたが、図面の精度に自信があったかと聞かれると困るような状態でした。それも承知の上で図面を提出せざるを得ない。

これはなんともやりきれません。

■失敗から学ぶ

この失敗で私が学んだのは2点あります。

ひとつは、「φ」や「r」や「t」など、サイズを表す記号は最低限覚えた方がいい、ということです。
知らない、というのは本当に怖いことです。

φなどでちゃんとサイズを説明してくれているのに、見る側の知識がないことによってその情報が読みとられないんです。プロとして、それではマズイです。

ちなみに、一般的な図面に出てくる記号については、今後詳しく説明していくつもりです。もう少し待って頂きたいと思います。

もうひとつは、自分が常識だと思っている事でも、相手にとっては知らないことであることが多い、という現実です。

これはいくら経験を積んでも、というか逆に経験を積んでいく程陥りやすい失敗かも知れません。
自分の知識が増えていくに従って、相手も自分と同じ程度の知識があると思ってしまいがちです。

私もいまだにこの失敗をしてしまいます。経験を積んだ人ほど、しっかりと相手のレベルを考慮してあげなければいけないのですが、これがなかなか難しいんですね。

とはいえ、ある程度の所までは常識の範囲だとも思います。今回で言えば、やはりφの意味は知っていて欲しかったですよ。

だって、打合せの都度「φは直径を表す記号ですが、大丈夫ですよね?」なんて確認してられませんから。

そんなことやっていたら、いつまで経っても打合せが終わりません。個人的な意見ですが、私は無意味に長い打合せが大嫌いなんです。

経験がないのならば経験を積むしかありませんし、知らないことが多いのならば勉強するしかありません。勉強といってもそれほど難しかったり、暗記が必要だったりする訳ではないですから。

今回のお話は、私の失敗でもありますが、外注の図面屋さんの失敗でもあります。どちらにより罪があるのかは深く考えないでおくとして、もっとお互い勉強するべきでしょう。

ただし、失敗したとは言え、その外注さんからは後日きっちりと請求書が届く訳です。図面は普通に遅れましたが、請求書はきっちりと期日通りに届きます…。

妙なところでプロ意識の高い図面屋さんです。

それよりも、ここを読んでいる方が考えるべきなのは、今回の場合とまるっきり同じような失敗をしないことです。それが出来れば、私の失敗にも少しは価値がでてきます。

今はこうして普通にお話しできますが、その当時はとてもじゃないですが笑えるような雰囲気ではありませんでした。ああいう状況は、味わわずにすめばそれに超したことはありませんからね。