前回は、私がようやくオートキャド(AutoCAD)を使った仕事に就くことが出来たというあたりまでお話しをしました。

仕事として報酬を受け取りながらオートキャド(AutoCAD)の勉強をすることが出来る状態というのは、私にとって願ってもないことでした。

なので、仕事がいくらハードでも「全然大丈夫」という思いでいました。スキルの低さをやる気と体力でカバーするという感じでしたね。

■忙しい仕事の中で

「どんなに忙しくても、自分のスキルアップが目的だから苦にならない」という思いは、ごく普通の勤務状態の中では通用しました。

体力が満タンの時には、誰だってどんなことでも出来るような気になってしまうものですよね。
多分当時の私も同じような考えだったと思います。

でも、仕事の忙しさは私の想像など簡単に超えてしまいます。

当時の私は忙しく仕事をする中で、仕事が個人の事情や体力などを考慮してくれる訳ではない、ということを身に染みて感じました。

いくら「徹夜明けだからたまには早めに帰りたい」と思っても、そんなことは相手に関係ないということです。

「この理不尽さに耐えるのが仕事だ」と上司から言われたこともありましたが、それが果たして真実なのかどうかは今でも分かりません。

が、とにかくその忙しさは、私の長いキャリアの中で最もひどいものだったことに間違いはありません。

仕事の取引先が複数になればなる程、そして取引先との約束をきちんと果たして良い仕事をすればする程、私の忙しさは増していくことになります。

良い仕事をすればする程、結果として徐々にそれが実行しにくくなる状況になっていく、という感じです。

こういう状況は本当に矛盾していますし、そうならないような仕組みを考えなければならないとも思います。
でも、それは当時の私ではどうすることも出来ません。

仕事量を調整する立場あった訳ではありませんし、もしそういう立場になったのなら、目一杯プラスアルファくらいの仕事を受注するようになるかも知れません。

いずれにしても当時は自分が担当している仕事をこなすことで精一杯で、そうした仕組みについて考えるゆとりはありませんでした。

■体力とやる気の関係

体力的に疲れてくると、やはりどうしても集中力を保つことが難しくなってきますし、それを「やる気」でカバーするのにも限界があります。

これは実際に味わってみるとよく分かりますし、こうしたことは体力に余裕がある状態で想像することは難しいと思います。

もちろんそんな経験などしない方が良いのですが…。

ただ、体力的にキツくなるとやる気が萎えてくるというのは、なにも私だけに言えることではなくて、当然私以外の人も同じです。

そんな訳で、忙しく仕事をしていくうちに、私よりも先に会社で仕事をしている人が少しずつ減っていきました。

労働条件が過酷な分だけ人の入れ替わりが激しくて、突然行方不明になったり、何らかの事情で会社を辞めたりして、私にとっての「先輩」がどんどん少なくなっていったんですね。

もちろんその代わりに新しく募集をかけるのですが、新しくはいる人は大体私と同じように未経験なんです。

仕事に慣れたベテランが一人いなくなっても、その代わりに未経験の人が一人加われば人数は変わりませんが、やはり戦力はそのまま変わらずという訳にはいきません。

オートキャド(AutoCAD)を覚えてもらうまではあまり仕事を任せることが出来ず、慣れてきたからといってたくさんの仕事を任せると辞めてしまう。

このあたりの微妙な加減は本当に難しかったと記憶しています。

どんなに仕事量の負担を軽くしても結局辞めてしまう人はいましたし、与えられた仕事をこなしながら大きく成長する人もいました。

人によってスキルや成長速度が違う以上、「こうすればOK」というようなお約束は恐らくないのでしょう。
オートキャド(AutoCAD)に限らず、仕事というのはそういうものなのかも知れませんね。