オートキャド(AutoCAD)初心者に操作方法などを教えながら、きちんと仕事をこなしていくことの大変さを味わった私は、最初から抱いていた「独立したい」という思いを強くしていきます。
自分は人に教えるようなタイプではないという思いもありましたし、なにより自分のことだけを心配すれば良いのは楽でしたから。
でも、独立したいという強い思いを持ったのと同時に、たくさんの人と関わりながら仕事をしていくことの面白さも味わっていて、それも悪くないという思いも持ち始めていました。
それに加え、しばらく棚上げしていた「私自身の方向性」についても考え始めると、結構悩んでしまうんですね。
色々なことを混ぜて考えるのはあまり良いことではありませんが、私が積み上げてきたオートキャド(AutoCAD)のキャリアも、そろそろ転換期を迎えたのかも知れません。
■とにかく挑戦してみる
転換期というと簡単に聞こえてしまいますが、当時の私はかなり深く悩みました。
やるなら腹を据えて仕事に挑むべきですし、やらないならば全力で他のことを考えなければなりません。
どちらにしても一番良くないのは中途半端にずるずると仕事をしてしまうことですから、出来るだけ決断を先送りにしないようにと考えていました。
…で。
しばらく悩んだ私が出した結論は「オートキャド(AutoCAD)を教えながら仕事をすることに挑戦する」というものでした。
要するにこのまま頑張る、という現状維持路線ですね。
人は変化を嫌う生き物で、自分の廻りの環境を自分から変えるのは大変なことだということも分かっていました。
なので、新しいことに挑戦することから逃げた結果として現状維持を選んだのかも…という思いも正直なところありました。
でも、まだ若かった(20台前半です)私は、この年齢で人を指導しながら仕事をする機会をもてたことをチャンスだと考えることにしたんです。
まあ苦労の連続だろうなとは思っていましたが、「若い時の苦労は買うてもせよ」という言葉もあります。
私はマジメにそれを実行しようとしたんです。というか、マジメに実行することに決めました。
一度決めたのなら、何らかの結果が出るまでは悩まずに全力投球です。
それをしたいが為に、深く悩んでいたんですから。
■年齢の壁
私が仕事で最も苦労をしたというか大変だと思ったのは、技術的なこととは全然かけ離れたことでした。
それは自分の年齢です。
私が教えながら育てていこうとしている人は、大抵の場合「やや年上」から「かなり年上」の間で、時には「自分の父親よりも年上」という場合もありました。
当然自分よりも年齢が下の「私みたいな若造」から何かを教わることに、誰しも多少なりとも抵抗があったのだと思います。
予想通り、年齢による上下関係にこだわる人は多く、私の思った通りにやってくれない人がたくさん出てくることになりました。
そういった意味で「苦労をするだろうな」と思ったのですが、まあそれは見事といっていいくらいに的中することになった訳です。
もちろん当時は「やっぱりね」と思うような余裕などありません。
私も若いですし人間ですから、お願いしたことが明らかに実行されていないとすぐ頭に血がのぼってしまいます。
自分で仕事を仕切りたいのなら、まずはきちんと仕事をこなせるようになってくれ、と思うことも多かったですね。
でもそこで怒鳴っても問題は解決しません。
というか、問題はさらにややこしくなってしまいますので、やはり年長者に対しては「これお願いします」という感じで仕事を進めていくことになります。
ちなみにこの「お願いベースでの仕事スタイル」というのは、結局年をとった今も変わることがありません。
多分これが私にあっているやり方なんでしょうね。
自分の下にいる人に対して高圧的に接しても意味がないし。メリットよりもデメリットの方が大きいというのはおそらく経験上ほぼ間違いないと思うし。
という訳で私は、年齢の壁と闘いながら、オートキャド(AutoCAD)を使ってやはり忙しく仕事をしていきました。
いつも物量をこなすことで仕事に慣れてきた私は、今回の「人を育てながら仕事をすること」にも同じように慣れていければ良いんですけど、果たしてどうなることやら。